言の葉は枯れる — 言葉で支配せず、意味を聴く

言葉は、世界を切り取るナイフのようなものです。
「これは正しい」「それは間違い」「この人は味方」「あの人は敵」。
言葉があるから、私たちは世界を理解し、人と関わることができる。
しかし、同時に言葉があるから、見えなくなるものもある。

花を見て「きれいだね」と言った瞬間、その花は“きれい”という枠に閉じ込められます。
言葉にすることで、無限だった感覚は一枚の標本になる。

フェルディナン・ド・ソシュールは「言語は差異の体系である」と言いました。
つまり、私たちは“言葉によって”世界を区切っている。
けれど、切り取られたものは、本来の生命を失ってしまうことがある。

大切なのは、「理解」ではなく「共鳴」です。
相手の言葉を、耳ではなく身体で聴く。
内容ではなく、“なぜその言葉が生まれたか”に耳を澄ます。

言葉にできないことを、恥じなくていい。
言葉にならない沈黙もまた、真実の一部です。

実践メモ:
1. “正しさ”より“温度”を聴く。
2. 沈黙を恐れない。
3. 言葉を“残す”より“流す”。

出典:フェルディナン・ド・ソシュール『一般言語学講義』/ミシェル・フーコー『言葉と物』/谷川俊太郎『ことばあそびうた』