私たちは日常的に「心を開く」「心を閉ざす」という表現を使います。
けれど、その意味を深く考えることはあまりありません。
「心を閉ざす」とは、いったいどういう状態を指すのでしょうか。
### 鬼という言葉の本来の意味
「鬼」という言葉は、もともと「隠(おぬ)」が語源とされています。
これは「目に見えない存在」や「姿を隠したもの」という意味を持ちます。
つまり、鬼とは悪魔的な存在というよりも、「見えなくなった存在」なのです。
人が心を閉ざすとき、他者の声や痛み、自分自身の感情さえも見えにくくなっていきます。
この「見えなくなる」状態こそ、まさに“鬼化”の始まりともいえるでしょう。
### 他者との関係がもたらす変化
心理学では、他者との関わりによって自己が形成されると考えられています。
ミラーニューロンの研究によれば、私たちは他人の表情や仕草を見て、無意識に共感的な反応を起こしています。
つまり、他者は自分を映す鏡であり、そこから私たちは「自分とは何か」を学び続けているのです。
しかし、心を閉ざしてしまうと、この相互作用が途絶えます。
他者からの刺激やフィードバックを遮断し、自分の世界に閉じこもる。
それは安全に思える一方で、成長や変化の機会を失う行為でもあります。
### 「心を開く」ことのリスクと価値
心を開くことは、他者によって自分が変わることを受け入れる行為です。
そこには痛みや不安も伴いますが、同時に、世界を広げる大きな可能性があります。
心理学者カール・ロジャースも、人間が成長するためには「他者との真摯な関係性」が欠かせないと述べています。
心を閉ざすことは、ある意味で“自分を守る”ための自然な反応です。
しかし、それが長く続くと、やがて他者とのつながりが薄れ、現実感そのものを失っていく。
鬼とは、まさにその象徴なのかもしれません。
### まとめ
「鬼」とは、単なる恐怖の象徴ではなく、「他者との関係を絶った存在」として捉えることができます。
そして「心を開く」とは、他者との相互作用の中で自分を更新し続けること。
見えないものに気づき、他者と響き合うことで、私たちは“人”であり続けるのだと思います。