> 同じ「つくる」でも、世界との向き合い方はまったく違う。
> それは「掘り起こす」か、「育てる」か。
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## ■ テクネーとは何か:掘り起こし、取り出す知
**テクネー(technē)** は、英語の *technology* の語源です。
古代ギリシアでは、自然の中に潜む素材や秩序を**人間の手で取り出し、加工する技術**を意味していました。
たとえば──
– 土の中から鉄鉱石を掘り出し、
– 木を切り出して建物を組み立て、
– 生き物の体を解剖して、臓器の仕組みを知る。
それは「自然に内在する価値を、意志によって引き出す行為」。
いわば、人間が自然を**対象化し、支配下に置く知**です。
現代の工業社会・情報社会の根底にあるのも、このテクネー的な世界観です。
スマートフォン、AI、効率化ツール──いずれも「隠れた価値を抽出し、再利用する」技術の延長線にあります。
> テクネーとは、世界を“機械”として扱う視点。
> 自然を、分解し、分析し、再構築する力。
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## ■ ポイエーシスとは何か:生まれてくるものを待つ知
対して、**ポイエーシス(poiesis)** は「生み出す」「芽吹く」を意味する言葉です。
これは人間の意志によって強制的に“作る”のではなく、**世界と対話するなかで自然に“生まれてくる”**こと。
たとえば──
– 土に種をまき、芽が出るのを待つ。
– 鹿の群れを見守り、弱った個体だけを分けてもらう。
– 音楽を作ろうとして無理に旋律を絞り出すのではなく、静けさの中で旋律が“降りてくる”のを聴く。
ここでの人間は「支配者」ではなく、「共に在る者」。
**世界の内側に身を置き、恵みを受け取る存在**として生きる。
ネイティブアメリカンの狩猟思想や、日本の里山文化、禅の作法にもこのポイエーシス的態度が流れています。
自然との境界を曖昧にし、**“世界が自ら表現する”のを見守る姿勢**です。
> ポイエーシスとは、世界を“生命”として扱う視点。
> 自然を、聴き、待ち、共に育てる力。
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## ■ 二つの世界観の違い
| 観点 | テクネー(technē) | ポイエーシス(poiesis) |
|——|—————-|—————-|
| 世界の見方 | 世界=資源 | 世界=生命 |
| 人間の立場 | 操る者・設計者 | 共に在る者・聞き手 |
| 行為 | 掘り起こす・分解する | 育てる・聴く・待つ |
| 結果 | 効率・再現性・成果物 | 豊かさ・偶然性・物語 |
| 比喩 | 採掘・収穫・機械 | 栽培・共生・森 |
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## ■ ハイデガーの警鐘:テクネーが「暴き出す」もの
哲学者マルティン・ハイデガーは『技術への問い』の中でこう述べました。
> 「テクネーは、自然を“資源(エネルギー源)”として暴き出す存在のあり方である。」
つまり、現代のテクノロジーは「便利」や「効率」だけでなく、
**世界を使い尽くす構造**をも内包しているという警告です。
ハイデガーは同時に、ポイエーシスを
> 「存在がその姿をあらわにする出来事」
と呼びました。
それは「人間が作る」のではなく、「世界が語りかけてくる」瞬間。
詩を書くように、風を聴くように、**“現れるもの”に耳を傾ける態度**なのです。
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## ■ 日常での実践例
– **料理**:冷蔵庫の残り物で“今あるもので”作る(テクネー) → 食材の声を聴き、味見しながら調整する(ポイエーシス)
– **仕事**:計画を立てて効率よく進める(テクネー) → 会話や偶然から新しい発想が生まれる(ポイエーシス)
– **自然との関わり**:庭の雑草をすべて抜く(テクネー) → どの植物が他を支えているかを観察する(ポイエーシス)
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## ■ HARMONEER的まとめ
テクネーとポイエーシスは、**どちらかが善でどちらかが悪**という話ではありません。
重要なのは、その**バランス**です。
– テクネーが「作る力」なら、
– ポイエーシスは「生かす力」。
AIやテクノロジーが進化する時代だからこそ、
人間が忘れてはならないのは **「待つ」「聴く」「育てる」** という、ポイエーシス的知恵なのかもしれません。
> 世界は、奪うものではなく、分かち合うもの。
> それを思い出すことが、真の“調和”への第一歩です。
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### 参考文献
– アリストテレス『ニコマコス倫理学』第6巻
– M. ハイデガー『技術への問い』
– ネイティブアメリカンの狩猟儀礼に関する文化人類学研究
– 西田幾多郎『善の研究』